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2012-05-28
北区探訪②
石躍 胤次(いしおどり たねつぐ)さん
飛鳥山公園にある博物館のご案内
『北区飛鳥山博物館』 
飛鳥山公園内には「三つの博物館」があります。北区の歴史・文化・産業そして人々の生活を楽しく学ぶことができます。『北区飛鳥山博物館』『紙の博物館』『渋沢史料館』の三つの博物館をご案内します。
いずれも平成10年に同時に開館になりました。
 
北区には、縄文・弥生時代以前から人々が生活していました。その遺跡が沢山あります。それは、地理的条件が人々の生活に適していたからだと言えるでしょう。
北区の簡単な歴史と当博物館の展示についてご紹介します。
  ナウマンゾウの牙 驚いたことに、区の東部・JR田端駅近くからは「ナウマンゾウの化石」(牙と臼歯)も発掘されています。(約12万年前の地層より出土、現物は東京大学保管)                                 
北区は、東西約3Km南北およそ10Kmの細長い地形で、その中央部を武蔵野台地の東端が縦断しその東側は低地です。台地に沿ってその下をJR鉄道が走っています。        

  台地部には遺跡群が連なっており、極論すれば、どこでも掘れば住居跡や石器、土器など発掘の可能性があります。 低地部には、国の史跡に指定されている縄文時代中期につくられたハマ貝塚「中里貝塚」があります。貝層の厚さが約4.5mもある日本で最大規模のものです。同時代の独木舟(まるきぶね)も出土しています。          
飛鳥山遺跡からは弥生時代の環濠集落が発掘され、多くの土器石器が出土しました。このように北区内遺跡から出土したいろいろな遺物、埴輪・鉄剣や勾玉・貨幣(和同開珎)人骨などを含め大昔の生活をうかがい知る貴重なものが展示されています。

奈良・平安時代には、武蔵国豊島郡の郡衙(ぐんが・古代の役所と倉庫群)が現在の国立印刷局のあたりの広大な地域に配置されていました。「租」として徴収した稲籾を収めた倉・正倉の復元したものもあります。畿内産土師器も発掘され、大和(近畿地方)の役人が赴任の際に持ってきたものと思われます。


中世・鎌倉室町時代には、桓武平氏秩父流の豊島氏が豊島郡を支配しており、紀州熊野の神々を勧請し、石神井川流域の内陸部まで強い勢力を及ぼしていましたが、文明10年(1478)太田道灌との戦に敗れ滅亡しました。
 
近世・江戸時代には、徳川家康はこの辺りを鷹狩場として訪れ、三代将軍家光も王子権現や王子稲荷社の社殿造営などもして、記録では86回もこの地への御成りがあったそうです。
そして、八代将軍吉宗のとき、飛鳥山を行楽地として整備し庶民に開放しました。吉宗は「徳川実記」によると、30回も御成りがあったとのことです。
古文書や図絵などの展示により当時のお花見の様子を知ることができます。

 

近代・明治時代以降は、わが国農業の近代化のため農事試験場や蚕病試験場などの試験研究機関が設立され、また王子製紙をはじめとする工場の建設によって、近代産業の発祥の地となったのであります。
これら北区の歴史・文化・産業そして自然の集大成を常設展示場にて見ることができ、また特別展示室では季節ごとや特別企画の催しものが随時開催されています。
参考資料:「北区飛鳥山博物館」 発行 東京都北区教育委員会

 
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