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2012-06-06
北区探訪④
石躍 胤次(いしおどり たねつぐ)さん
飛鳥山公園にある博物館
『渋沢史料館』

渋沢栄一(1840~1931年)について簡単にご紹介します。 
武州血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の豪農の子として生まれ、初め幕府に仕え、明治維新後、政府の一員となって新しい国づくりに邁進し、続いて、自ら経済界に入り 第一国立銀行を経営、製紙、紡績、保険、鉄道など約500もの企業の 創立・育成に努め、日本の近代的経済社会の基礎を築き、財界の大御所として活躍しました。同時に、東京養育院など社会福祉活動や商業教育、女子教育にも尽力し、また、世界の平和と繁栄を求め、民間外交のリーダーとしても活躍しました。
 
渋沢栄一の旧邸は、終戦時まで、現在の飛鳥山公園の一角にありました。そのゆかりの地に渋沢史料館はあり、初めは別荘として、後には本邸として住まった「曖依村荘(あいいそんそう)」(敷地総面積約28000㎡1901年当時)で、住居等主要部分は昭和20年4月の空襲で焼失しましたが、戦災を免れ今に残る「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」そして、1998年3月に開館した「本館」の三つの建物で運営されています。
 
「本館」は、渋沢栄一の生涯と携わった多方面にわたる事業や人々との交流及びその事績と思想を、多くの資料の展示によって、実業史的観点からひも解く博物館です。
「晩香廬」(洋風茶室)と「青淵文庫」(図書館)は、ともに国指定重要文化財で、当時の面影をとどめる旧渋沢庭園の一部とともに、現存する大正期の貴重な小建築として保存されており、内部の見学もできます。


 

渋沢栄一は、企業を発展させ国を豊かにするためには『論語』をよりどころに、道徳と経済の一致を常に心掛けなければならぬとの「道徳経済合一説」を説き、自ら実践しました。
 
王子製紙を設立し、西ヶ原の一里塚保存運動に努め、栄一が昭和6年91歳で亡くなるまで永く居住し、愛した飛鳥山の渋沢邸跡にて、渋沢栄一の多大なる業績や活動に接して、あらためて日本の経済産業の現状や世界平和について考えてみたらいかがでしょうか。

参考資料:「渋沢史料館のご案内」「常設展示のご案内」「施設のご案内」等
     発行 財団法人渋沢栄一記念財団 渋沢史料館
 
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