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2012-07-25
北区探訪⑤
石躍 胤次(いしおどり たねつぐ)さん
王子神社
北区王子本町1-1
『王子の地名の起源』
王子神社は、王子・十条地域の総鎮守であり氏神様として、いにしえより現在に至るまで多くの人々に崇敬の念と親しみを持って祀られています。
その昔、この辺りは岸村と言われていました。荒川・石神井川の岸辺に近い地域だからでしょうか。
中世、鎌倉・室町時代この辺り武蔵国を支配していたのは、豊島氏でした。
「若一王子縁起絵巻三巻」(北区指定重要文化財・紙の博物館蔵)には、元亨2年(1322年)領主の豊島氏が、紀州熊野の『若一王子宮(にゃくいちおうじのみや)』をこの地に勧請したと記されています。 そして、その後、岸村は王子村と改められ、代々の領主に篤い崇敬を受け、神社には北条家の朱印状が残っています。因みに現在の神社の地番は「王子本町1丁目1番」です。
江戸時代までは、「王子権現」と称せられ、家康は、天正19年200石を寄進し、以来徳川幕府の庇護のもと、社殿造営や修築が行われました。三代将軍家光(幼名 竹千代)の乳母・春日局は、「王子権現」に竹千代の将軍就任を祈願し叶ったという故事もあります。
「王子神社」の御祭神は、イザナギの命、イザナミの命、天照大神、速玉之男命、事解之男命の五神で総称して「王子大神」と呼ばれています。
御神徳は、開運除災・厄除け・家内安全・運気回生・出世子育大願であります。
明治元年には、東京を守護する東京十社として「准勅祭社」に任ぜられ、境内には17社の摂社・末社がありましたが、昭和20年の戦災で全て焼失し、現在の神殿は昭和57年に再建されたものです。
境内北側に唯一つ「関神社(せきじんじゃ)」という朱色の末社があります。ここはわが国で他に例のない「かもじ(かつら)」「毛髪」等をお祀りしているお社です。平安時代の歌人 蝉丸公が、逆髪の姉を気遣って、古屋美女に「かもじ(かつら)」を作らせたという故事にもとづき、近江・大津の「関蝉丸神社」のご神徳を敬う人々が、江戸時代に奉斎した神社で、昭和34年に再建され床山さん、かつら屋さん、理美容店、映画撮影所、劇団などから「髪の祖神」として崇敬されています。
また境内に、昭和36年、かつら協会・床山協会・人毛商工組合により『毛塚』の石塔も建立されています。
(蝉丸法師の和歌  これやこの 往くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関)
境内南側の裏参道には、推定樹齢600年以上という大銀杏があります。昭和14年には、東京市の特別記念物に指定されています。
昭和20年の空襲によって焼かれ一時枯れかかったが、その後蘇えり緑の生気を取り戻しています。
王子神社境内では、毎年8月に氏子による「王子神社田楽舞」が奉納されます。室町時代の「義経記」に出てくる行事で、北区無形文化財に指定され中世の面影を残す貴重な民族芸能です。また、12月6日に東京都内で最後の酉の市が開かれ、熊手が授与されます。
参考資料:王子神社のしおり 他
 
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