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2013-01-22
北区探訪⑧
石躍 胤次(いしおどり たねつぐ)さん
北区を縦貫する「日光(にっこう)御成道(おなりみち)」
 

 東京都北区の地形は、南北に長いさつまいもの様な形をしています。そして、ほぼ中央部の東側は低地、西側は台地になっています。その境界線の崖の下をJRの鉄道が通っており、崖の上には昔からの街道が通っています(赤い線)。これが、通称「岩槻街道」江戸時代の「日光御成道」です。

 初代将軍徳川家康公が祀られている「日光東照宮」、三代将軍家光公を祀る「大猷院(たいゆういん)」に徳川家の代々の将軍が参詣に行くときに、江戸城を出立して通行する道なので「日光御成道」と呼ばれていました。また、この道を岩槻城の城主が参勤交代に使用していたので、通称「岩槻街道」とも呼ばれています。

 徳川将軍(世嗣、大御所を含む)が、日光の徳川家の霊廟に詣でる行事のことを「日光社参」と云います。江戸時代の確かな資料によると、実に17回を数え、ほかに予告されたものの無期限延期されたこともありました。

 コースは、江戸城大手門を発ち神田橋を渡って御茶の水で中山道に入り、本郷追分で中仙道と分岐して日光御成道を進み、北区西ガ原、飛鳥山、王子、赤羽、岩淵宿を過ぎ、荒川に架設された船橋を渡ります。そして、川口、鳩ケ谷を過ぎ、岩槻城に宿泊。二日目は岩槻城を出発して日光御成道を北上し、幸手追分で日光街道に入り栗橋で利根川を渡り古河城に宿泊。三日目は宇都宮城に宿泊し、四日目に日光到着、五日目に東照宮参詣となります。江戸から日光までの道のりはおよそ150キロメートルです。

 初期の社参行列は、質素でしたが、次第に華美で大規模のものとなり第十代将軍家治(いえはる)の社参は、先頭が日光に着いてもなお、最後尾は江戸を出発出来なかったとも伝えられています。

 江戸を出発した行列は休憩・昼食を挟みながら歩を進めていく。最初の休憩所は安永の社参までは王子の「金輪寺」でしたが、天保の社参では「飛鳥山」で最初の小休止を取り、昼食は川口の「錫杖寺(しゃくじょうじ)」で摂っています。

 江戸時代のこの地域すなわち武蔵国豊島郡中里村・王子村・十条村・稲付村・赤羽根村等は、江戸の郊外の純農村地帯でありました。現在は、この「日光御成道」沿いの街並みも道路状況も大きく変わり、当時の面影はほとんどありません。さらに、「日光御成道」の道幅の拡幅工事が急速に進められています。

 北区内には、徳川家ゆかりの寺社や古い史跡などが点在しています。西音寺(北区中十条3丁目)や地福寺(北区中十条2丁目)も行列の休息所に使用されました。
 そこで、「日光御成道」沿いの近くにある北区内の名所・旧跡・史跡を、「日光社参」のエピソードなども時々入れて次回よりご紹介したいと思います。

 
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