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2013-06-20
北区探訪⑬
石躍 胤次(いしおどり たねつぐ)さん
宝幢院(ほうとういん)と赤羽八幡神社
北区赤羽3-4-2

 日光御成道を北に登っていくと赤羽の宝幢院に行き当たる。左(西)に行くと板橋中山道方向、右(東)に行くと岩淵宿・荒川・川口・岩槻方向の日光御成道・岩槻街道である。
院前に江戸時代の石の道標(みちしるべ)が建っている。ほぼ当時の位置のままで北区内に残る道標として貴重なものである。

道 標(みちしるべ)

道標の案内板

 道標には、正 面に「南 江戸道」右側面に「東 川口善光寺道、日光岩付道」
左側面に「西 西国冨士道、板橋道」
裏 面に「元文五年庚申天十二月吉日願主了運」
と彫られている。元文五年は、江戸時代中期 西暦1740年(八代将軍吉宗の時代)である。
江戸からやってきた旅人は、ここで左右に分かれて、日光岩付道は岩淵の宿場から渡し船に乗って川口へ出て、鳩ケ谷・大門・岩槻の宿場をへて幸手宿で日光街道に合流する道筋です。板橋道は西国へと向かう中山道や八王子から富士山北麓の登山口へと向かう冨士道へ通じていました。また、中山道や東北方面から来た旅人は、やっと江戸に着いたと安堵したことでしょう。
まさに北区は江戸の北の玄関口でした。

 宝幢院の詳細は明らかではないが、創建は天文九年(1540)以前で、かつては浮間村にあったそうで、江戸初期に現在地に移ってきたのではなかろうか。真言宗のお寺で、寺号は医王山東光寺という。
 境内には延宝八年(1680)の庚申塔がある。その隣に石塔があって、「山王二一社岩淵赤羽根村宝憧院祐具寛永十六年霜月十八日」と彫られており、中央に阿弥陀如来像、左右に二匹の猿が彫られている。これは、「山王信仰によるものとする説」と「庚申信仰によるものとする説」の二つがある。
 その他に、馬持講中の人名を刻んだ江戸時代の「馬頭観音塔」、東叡山御支配 先達と彫った「出羽三山供養塔」がある。

石塔と庚申塔

馬頭観音塔と出羽三山供養塔

 明治時代には、境内に現在の赤羽小学校の前身の岩淵尋常高等小学校があり教場として一時期使用されていた。

八幡神社(はちまんじんじゃ)
北区赤羽台4-1-6

 宝幢院から西へ約300mほど、JR 京浜東北線のガードをくぐった高台に赤羽八幡神社と俗称される神社がある。江戸時代は岩淵五ヵ村(赤羽根村・下村・袋村・稲付村・岩淵宿)の総鎮守であり、現在もその関係は続いている。
 北区内でも最古の歴史を持つ神社の一つである。社伝によれば、この神社は平安時代・延暦年間(782-806)東征の途次であった征夷大将軍 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)がこの付近に陣を敷き、品陀(ほんだ)和気(わけの)命(みこと)(応神天皇)、帯(たらし)中津(なかつ)日子(ひこの)命(みこと)(仲哀天皇)、息(おき)長帯比売(ながたらしひめの)命(みこと)(神功皇后)の三神を勧請したのに始まる。
 長徳年間(995-999)に源頼光が社殿を再興し、久寿年間(1154-1156)に源頼政が修造を加え、応永(1394-1428)、正長(1428-1429)の頃太田資清が社領として一貫文の地を寄付し、文明元年(1469)太田道灌が社殿を再興したということである。(岩淵町郷土誌)
 また、『新編武蔵風土記稿』に、「赤羽村・・・今ハ東叡山及伝通院村内 宝幢院八幡社領入曾ノ村ナリ」と記されており、慶安二年(1649)七石余の朱印が付されて、年貢・課役を免除された領地を有していた。


拝 殿と神楽殿

神輿庫列

 現在の本殿は昭和六年(1931)に改築されたものであり、右側の神楽殿には三枚の絵馬が奉納されていて絵馬堂も兼ねている。この地は武蔵野台地の東北端にあたり、境内からは縄文式土器・土師器が発見されていて、縄文時代中期・弥生時代後期の遺跡とされ八幡神社遺跡と呼ばれている。
 神社周辺は、八幡原と呼ばれ坂上田村麻呂が陣を敷いたところという伝説があるが、明治時代以降は旧陸軍の兵舎や兵器廠や火薬庫があり、赤羽は「陸軍の町」と云われた。このあたりは、現在は学校や病院となっている。星美学園に行く坂道は、工兵坂とも師団坂とも呼ばれている。

師団坂(左)と裏参道の急坂

参道の長い石段

 境内に行くには、JR線路脇のうっそうと木が茂る長く高い階段を上るか、西側の急坂を上らなければならない。
奥殿つきの木造本殿は荘厳・壮麗である。 右奥には神輿庫が七棟並んでいるがこの神輿の宮入時、この高さの境内に担ぎ込む勇壮な姿が思い浮かべられる。
 境内には、戦時中の名残の工一記念碑・赤羽招魂社がある。一対の赤狐のいる稲荷神社・古峰神社のほか、末社として、北野神社、御嶽神社、阿夫利神社、大山神社、住吉神社、稲荷神社、疱瘡神社、大国主神社が祀られている。
また、新しいものとしては、縁結びの神・因幡の白兎や北野神社のなで牛もあり、御神徳の勝運上昇、学業成就、縁結び、出世開運の「勝負事の神」として篤く信仰され、参詣人の「下元八運期」の沢山の絵馬が掛けられている。

 東北、上越新幹線が神域の地下トンネルを通り、境内からはJR新幹線や在来線が下に一望され、鉄道マニアの絶好のフォトスポットであるが、
 江戸時代には、日光御成道を行き来する旅人や岩槻城主の参勤交代の行列そして、徳川将軍の日光社参の大行列を見ることができ、岩淵宿や川口の渡しが遠望できたのではなかろうか。

 
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