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2013-12-26
北区探訪⑮
石躍 胤次(いしおどり たねつぐ)さん
地 福 寺 (じふくじ)
中十条2-1-20

 東十条駅南口を上った日光御成道に面した所に当寺があります。
徳川の将軍様が、日光御成道を通り日光に社参する折にしばしば休憩所として指定されたお寺で、その歴史は古く境内には数多くの石碑や仏像などがある。

 平安時代後期(康平年間)京都の御室(みむろ)御所(ごしょ) 仁和寺(にんなじ)の僧・経邦(けいほう)上人(しょうにん)が伊予公の護持僧として奥州征伐に同道した折、討伐後も一人東国に残り、この地に太子作と伝わる薬師如来像を奉安したのが当山の始まりと言われている。
以来北条家から五百貫文の公田を受け、江戸時代(寛政年間)には徳川家から十二石の御朱印を下賜されている。

 山号は、十条山 地福寺 東光院と言う。古くは醫(い)王山(おうさん)と称していた。真言宗智山派で総本山は京都の智積院(ちしゃくいん)である。開山経邦上人より数えて現住職で第70世になるという。

参道の入口に「千年(ちとせ)の松(まつ)」がそびえ、その姿は遠方より良く見え通行の目印ともなった。名前の根拠は、『新編 江戸志』に 「医王山地福寺 真言宗真頂院末十条村 千年の松、宮の古木なり室賀氏の抱地(かかえち)の内也」と記載されていることによる。
参道には「茶垣の参道」という説明板がある。これはかつて王子の名産としてお茶があったという歴史を伝えるため昭和31年に築いたものである。
山門は、文化五年(1808)建立で戦災を逃れた数少ない文化財である。
水屋は、昭和15年建立であるが、戦火をくぐり抜けて残った当山の貴重な文化財の一つである。
山門脇に6体の地蔵が祀られている。お地蔵様の内、一番大きな地蔵さまは、姥(うば)が橋(はし)のお地蔵様、東十条鉄橋際のお地蔵様と共に「王子の三地蔵」とも云われ、あるいは、単独で「鎌倉街道のお地蔵様」とも云われてきた。

境内には、江戸時代の銘の彫られたものが数多くある。
閻魔(えんま)大王:貞亨2年(1685)の作で、都内でも珍しい丸彫りの庚申塔です。
庚申塔:境内南に青面(しょうめん)金剛(こんごう)を彫った庚申塔がある、享保5年(1720)造立。
出羽三山講:かつて当山には月山、湯殿山、羽黒山の出羽三山をお参りする三山講があった。その講中が建てた供養塔、文政二年(1819)造立。

参道には、「救らいの寺」と彫られた大きな石碑がある。そして、境内南側に四国八十八寺の仏像と巡礼姿の「母娘遍路像」が奉安されている。

 当寺は、ハンセン病の啓発運動と支援に長年尽力し、その歴史を残す運動を続けてきた。

また、ハンセン病者に深くお心を痛めておられた貞明皇后(大正天皇妃)の  お像を展示する慰音堂(八角堂)もある。
(出典:地福寺発行 冊子等)
日光御成道(岩槻街道)の道路拡幅工事により、近い将来、山門前の参道が無くなり「千年の松」「茶垣の参道」や鎌倉古道脇の「福々地蔵」はどうなるのか案ぜられる。
 
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