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2014-05-15
北区探訪⑰
石躍 胤次(いしおどり たねつぐ)さん
旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)
北区西ヶ原1-27-39

日光御成道沿いに位置する約1万坪の美しい庭園です。武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配しているのが特徴です。

大正時代初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、日本の伝統的な手法と近代的な技術の融和により、和洋の見事な調和を実現している代表的な事例であります。また、現存する近代の庭園の中でも極めて良好に保存されており、風致景観が優れ、学術的価値が高いものとして、平成18年文化財保護法により「国の名勝」に指定されました。
この庭園は、もと明治の元勲・陸奥宗光の邸宅であったが、次男潤吉が古河家の養子になった時古河家の所有になった。陸奥宗光は明治30年この地で亡くなりましたが、当時の建物は現存していません。
この庭園は、古河家三代目虎之助のとき、大正6年に洋館と西洋庭園が、大正8年に日本庭園が完成しました。
洋館と西洋庭園は、英国人ジョサイア コンドルの設計によるものです。彼は、日本で初めて本格的西洋建築を設計・教育し、鹿鳴館・岩崎邸・帝室博物館・ニコライ堂など多くの作品を作り、我が国の建築界に多大の貢献をしました。

洋館は、英国貴族の邸宅にならった古典様式で、煉瓦造り、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)で覆われ、雨にぬれると落ち着いた色調をかもしだします。
地上2階・地下1階となっており、2階は純和風で畳敷き、仏間もあります。
大正12年9月1日の関東大震災のときには、建物はびくともせず、約2千人の避難者を収容、3659人を治療したとの記録があります。大正15年虎之助夫妻が牛込に転居した以降は古河家の貴賓のための別邸となりました。

昭和14年頃には後に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収されました。また戦後は一時英国大使館付武官の宿舎となったが、財閥解体により国に所有権が移り、国から東京都が無償で借り受け昭和31年都立公園として一般公開されました。
西洋庭園は左右対称の幾何学模様のフランス式庭園と、石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア式庭園の技法を合わせたテラス式庭園に植えられた多品種のバラは、春と秋に見事な大輪の花を咲かせ、洋館の風情と相まって異国情緒を満喫させてくれます。毎年春(5月~6月)秋(10月~11月)にバラフェスティバルが開かれ大勢の観光客が訪れます。

日本庭園は、京都の庭師植治こと七代目小川治兵衛の手によるものであり、このほかに京都の平安神宮神苑初め数多くの名園を作庭しています。
日本庭園は、心字池を中心に枯滝・大滝・中島を配し、冬の松の雪吊りとこも巻き、夏の大滝の水音、秋の紅葉と四季を通して名園の景観を楽しむことができます。

参考:都立文化財9庭園
浜離宮恩賜庭園 旧芝離宮恩賜庭園 小石川後楽園 六義園
旧岩崎邸庭園 向島百花園 清澄庭園 旧古河庭園 殿ヶ谷戸庭園
 
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